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空間を描かずに「空間」を描くということ


 自分の頭の中にしかない「空間」を絵に描くのは、とても難しい。

 かれこれ10年以上も建築の設計をしていると、建物をはじめとする物理的な物や形そのものを絵に描くことは(巧拙は別にして)それなりにできるようになる。ただ、それらの間に生まれる空白の部分、すなわち「空間」を描こうとすると、話は途端に難しくなる。

 よく誤解されることがあるけれど、建築をつくる、ということは、必ずしも壁や柱、屋根をつくり、建物という物理的な造形物をつくることだけを意味しない。もちろん、それらも建築をつくることの一側面ではあるけれど、それらの造形物を「ネガ」だとすれば、そこから生まれる「ポジ」の部分、つまりは「空間」を同時につくっている。

 これは何も、建物とその内部空間に限った話ではない。例えば、小さなオフィスビルの建つ区画をいくつか統合し、20階建てを超える高層ビルに建て替えると、都市の中に少しだけ空の狭くなった「空間」が生まれる。あるいは、住宅地にぽっかり空いた小さな空き地に一本の樹木を植えると、それがないときよりもその場に手がかりのようなものが生まれ、人が寄りつきたくなる「空間」が生まれる。

 ある造形物によって生まれるこれらの「空間」は、実際にその場所を訪ねてしまえば、肌身を通じてすぐに感じることができる。ただ、そこを訪れたことがない人達に対して、事前に「空間」を描き伝えることが難しいのは、それが単に造形的な環境のみから生まれているものではなく、その場所を訪れたときに感じる光や音、匂いや、その場所に至るまでのシークエンスを総合した体験として刻まれるものだからだ。

 このように考えると、自分の頭の中にしかない「空間」を絵に描き、そこを訪れたことがない人に伝えることは、到底不可能なことのように思えてくる。とはいえ、それまでにない建築のイメージを生み出そうとしてきた建築家たちは、この難題に対して様々な方法で取り組んできた。

 例えば、20世紀を代表する建築家の一人であるル・コルビュジェは、人口が密集した都市住宅の中にトレーニングをする人物像を描き込み、過密による不衛生な都市において健康的に生活するための住空間を表現した。また、日本を拠点に活躍する石上純也さんは、建築の存在を極限まで希薄に描くと共に、その周囲の植物の姿を豊かに描くことで、建物とランドスケープが一体となったかのような空間のイメージを表現した。

 3Dモデルを用いたイメージの作成が容易になった現在、より実際に近いかたちで描けばいいじゃないか、そう思われるかもしれない。ただ、具体的に描くことが必ずしも「空間」を表現することにつながらないことは、現在もなお「空間」を表現する新たな方法が生まれ続けていることが物語っている。

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 さとりさんの描いた『インドネシアティダアパアパ巡り』を読んだとき、ここには「空間」が描かれている、と感じた。ただ、そこで現地、すなわちインドネシアのブロモ山に至るまでの風景が精緻に描き表されているかというと、そうではない。

 むしろ、描かれている画面を見てみると、本来「空間」を表現するための造形的な特徴そのものは、クライマックスで登場するブロモ山を除いてほとんど描かれていない。ときおり建物の外観や立面が登場するけれど、それらは外から眺めたカタログのように描かれていて、どちらかというと場面の移り変わりを知らせる合図のようなものに近い。

 代わりに描かれているのは、その土地で繰り広げられる会話劇。現地の熱気を表すように高い密度で描かれた吹き出しと、くすっと笑ってしまうようなやり取り。それは日本から遠く離れた土地での出来事でありながら、どこか日常生活のすぐ隣で起きているような見慣れた光景を思い起こさせる。

 そうした中、非日常的なブロモ山の火口が突如として登場する。土地の姿が描かれないことで頭の中に思い浮かべていた身近な光景は、少しだけ道を外れて「半日常」とでも言うべき姿に置き換わる。

 こうした描き方は、ある意味ではいわゆる旅行ガイド的なものとは対極にある。旅行ガイドはそれが取り上げる場所の「情報」を伝えることが目的だから、その土地の実際を写した写真が多く掲載される。その誌面はこれまで見たことのない風景を具体的に見せてはくれるけれど、そこにある「空間」が伝わってくるかというと、そうではない。

 おそらく僕たちは、どれだけ具体的な画面を見せられても、日々の生活のすぐ隣にある「空間」しか感じることはできない。そこに描かれていない「空間」を思い浮かべながら、その可能性について考えている。

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