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好きなマンガ『迷走王ボーダー』


狩撫麻礼 [原作]
たなか亜希夫 [画]
大陸の荒野で出会ったワイルドな中年・蜂須賀と、スマートな青年・久保田は日本に帰ってきてボロアパートに住む。80年代バブルの浮かれた世界を「あちら側」と呼び、魂と本物の世界を「こちら側」として、その境界線を生きる「ボーダー」たちの生き様を、コミカルかつ熱気を持って描いたのが本作だ。
主人公の蜂須賀は、自分に正直過ぎて小市民をはみ出したトラブルメーカーという点では寅さんや両津勘吉の系譜だが、その「ロック版」「アメリカン・ニューシネマ版」みたいにイメージしてもらえたらわかりやすい。

自分が特に好きなのはvol.129「LIVE!」(復刻版6巻)。
「数字があれば中身は問わない」というあちら側の権化のような男と対決する「中身にこだわって生きてきた」蜂須賀は、亡きボブ・マーリーの代わりとしてザ・ウェイラーズと共に東京ドームのコンサートに立つことになる。ボロアパートの住人・蜂須賀の前で億単位の金が動く。一瞬ビビる蜂須賀だが、目の前に荒馬の幻影が現れる…。
物語は荒唐無稽でさえあるのだが、たなか亜希夫の作画による名優のような表情の数々が説得力を生む。

これは好みの話かもしれないが、わたしは、目の前の世界の現実よりも、少し上に浮いたところに「フィクションのリアリティ」があると思っている。現実ではあり得ない物語、あり得ない選択肢、あり得ないリアクションなのだが、フィクションでそれはリアリティを得ることができる。しかし、あまりに現実から離れた上の方だとリアリティは保てない。少し上のちょうどいい塩梅のところにフィクションのリアリティの気持ちいいゾーンがあると信じている。

狩撫麻礼が描くフィクションの日本では、現実にあり得ない瞬間がやってくる。それはリアリティが保たれるギリギリの、それこそ境界線を狙ってやってくる。そしてそこに感動するわたしがいる。繰り返すが、これは好みの話かもしれない。だが、わたしが物語に「奇跡」を感じるのはそういう瞬間なのだ。

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