【投稿コース】第6期 投稿コース講評:『正月のいとこたち(ネーム)』【12月分】
ひらめき☆マンガ教室第6期から新設された投稿コースでは、月に一度、ひらめき☆マンガ+内に投稿したマンガの中から自由にひとつの作品をえらんで講評を受けることができ、内容はひらめき☆マンガ+で公開されます。
現在、オンラインで講評を受けることのできる「投稿コース」を含め、ひらめき☆マンガ教室第7期の受講生を募集中です。
ぜひお申し込みください!
詳細:https://hirameki.genron.co.jp/creators-wanted/
申込:https://genron.co.jp/shop/products/detail/829
第6期、12月分の講評には全2作品の申込みがありました。本記事では、えぴのみすさんの『正月のいとこたち(ネーム)』の講評をお伝えいたします。
1.『正月のいとこたち(ネーム)』えぴのみすさん
講評:さやわか先生
受講生アピール文
・作者としてはこの作品はこの形で完結していると考えますが、疑念もあります。「何かが動き始めるところで話が終わっている」もしくは「何も動いていない」のではないかと。実際、美貴にカズへの恋愛感情が芽生えるでもなく、この先の人生への不安に何か変化がある訳でもなく、彼女は自分の感情を単に再確認しているだけだからです(4ページしかないためでもありますが、この先を描いてもあまり変化をつけられないと考えました)。作者としては、何か変化というよりは正月の取りとめのない一情景を描きたかったのでした。
・コマ運びで分かりづらいところがあれば指摘いただけると幸いです。具体的には2ページ目下段の、カズの回想する少女時代の美貴の姿から、同ページ4コマ目の現在の美貴の姿に至るところ(カズの台詞の吹き出しで視線誘導しているつもりですが)。また3ページ目3コマ目以降の美貴の独白は、カズが寝ていると思って言っているのに、「そう…なのかな…」と返事があって少し驚くというところを意図しています。他の部分でも構いません。
講評よろしくお願いします。
講師講評(さやわか先生)
えぴのみすさん、投稿ありがとうございました!拝見しました!
まず「変化」についてですが、読者からすると「全く恋愛感情のなさそうだった二人のキャラクターが、ちょっとそういうことを意識した会話をするようになった」というだけで大きな「変化」が見られるので、これはこれで「何かが起こっている」物語だとは思いました。
これらのキャラクターが「実際に」「将来」どのような関係になるか、ではなく、あくまでも「この作品の短いページ数の中で」、キャラクターの感情の動きとか思考の変化などが起こることがまずは肝心です。それにともなう人間関係や会話内容の変化が見られればいいわけで、この作品にはそれがあると思います。もちろんその変化が、キャラクターにとっての大きな変化(わかりやすいものなら成長とか、カップルになるとか)が絡んでくればなおわかりやすいですが、そうでなくても変化というものは描けるわけです。
そういう意味では、実は「何か変化というよりは正月の取りとめのない一情景を描きたかった」というのは今少し考え方を変えられた方がいいのかな、と思いました。
「一情景」というのは、単純に言えば絵画的なものを指す言葉でして、つまりはそれは「止め絵」でいいんですよね。しかしマンガは時間の経過を描くものです。コマが存在して、それを目で追って読むのは、時間が流れていることを前提とした形式なのです。だから作品がたとえ人生の些細な一場面を切り取るような内容を志向していたとしても、マンガ家はそれを単に「一情景」としてではなく「時間の流れ」を描くように、すなわち常に「変化」を描くように、意識するものなのだ、と考えられたほうがいいと思います。そうしないと、たぶんとりとめのない作品になってしまうと思います。
次にコマ運びについてですが、まずそもそもこの作品はマンガにとってオーソドックスなコマ割りではなく、そういう意味では「わかりづらい」と言えてしまうと思います。
一例をあげると、2ページ目にはコマの間白(絵が入っていない部分)が大胆に広めに取られている部分が散見されますが、3ページ目では間白は一切ない、線引きの枠線になっています。マンガは基本的に「意味」を重視する芸術なので、このように作中で一定のルールがなくいろんな描き方がされていると、読者としては「このような描き方には何か意味があるのだろうか」と思ってしまいます。それって実は、けっこう困った事態を招くのです。
次にコマ運びについてですが、まずそもそもこの作品はマンガにとってオーソドックスなコマ割りではなく、そういう意味では「わかりづらい」と言えてしまうと思います。
一例をあげると、2ページ目にはコマの間白(絵が入っていない部分)が大胆に広めに取られている部分が散見されますが、3ページ目では間白は一切ない、線引きの枠線になっています。マンガは基本的に「意味」を重視する芸術なので、このように作中で一定のルールがなくいろんな描き方がされていると、読者としては「このような描き方には何か意味があるのだろうか」と思ってしまいます。それって実は、けっこう困った事態を招くのです。
以下に例を挙げましょう。
2ページ下段の大ゴマは、中段に大きな間白があり、下段の大ゴマと左の小ゴマが枠線ナシであいまいにつなげられています。このように枠線なしで絵が解放されていると、マンガでは一般的空想や夢、幻などが描かれていることを意味します。実際、ここは回想のコマなので、それはそれで正しい。ところが、このページは上段でも変則的なコマ割りをしているので、回想だけでなく現実のシーンも地に足が付いていない印象になって、結果的にどこからどこまでが回想で、どこからどこまでが現実かわかりにくくなっています。
つまりえぴのみすさんが意識されていた、少女時代の姿をフラッシュバックさせる描写が、効果的に見せられていません。この大ゴマの座っている少女は、(現実でもこたつに座っているから余計に)現在の姿なのかな?と思えてしまいます。
さらに読み進めると、今度は3ページ最終コマの回想シーンなどが、こっちは普通に枠線で閉じられたコマ割りなので、むしろ「これは現実の(回想ではなく、現在の)シーンなのかな?」と思えてきます。
というわけで、現実の部分も、そうでない部分も、総じてちょっと一般的なマンガのコマ割りのルールではないものになっているため、結果的に場面の違いにメリハリが付けられなくなっているわけですね。
これを解消するには、やはりせめて現実のシーンだけでも特殊なコマ割りをやめ、一般的なマンガのコマ割りを普通に用いた作品を描いたほうがよいと思います。マンガを描き始めの人は、描きたいシーンや絵、構図、リズムなどに合わせてコマを割ってしまい、結果的に特殊なコマ割りになってしまうことが多いのですが、これを割けるべく、むしろコマ割りに合わせて物語や絵をうまく「収める」ことを心がけられるといいと思いました。
そうではなく、もしこういう独特なコマ割りにこだわりがあるのであれば、それはそれで読者にもそのルールがわかりやすく、かつ徹底されていなければいけないと思います。いずれにせよそれは、オーソドックスなコマ割りよりも非常にハードルが高いです。
最後に、上記の話にも少しだけ関係がありますが、えぴのみすさんがご懸念の3ページ目3コマ目以降の美貴の独白は、カズが寝ていると思って言っているのに、「そう…なのかな…」と返事があって少し驚く、という形には、ちょっと、なっていないと思いました。
なぜなら読者の読む順序を考えれば、先に「美貴の驚いた顔」を見てから「そう…なのかな…」という台詞を読むことになるからです。これを避けるには、読者の読む順番、すなわち「上→下」とか「右→左」という順序に応じて絵や台詞を配置する必要があり、この場合には必然的に「そう…なのかな…」→「美貴の驚いた顔」というふうに目が流れるようにしてあげなければなりません。そのように読めるようにうまく構図を配置していくのがマンガの技術で、それをやるためのヒントは過去の多くのマンガ作品の中にたくさんあります。困ったら、いろんなマンガを読んで、自分の作品に使えそうな部分を採り入れるといいと思います。
講評としては以上になります。よかったら、お役立てください!
講師講評ここまで
以上になります。
えぴのみすさん、講評にお申込みいただきありがとうございました!
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おわり