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ネーム模写 押見修造『ハピネス』1巻


 

 

さやわか先生

 

9月の講評ありがとうございました。

 

まさに自分の中で違和感として抱いていた点を、痛いほど明確にピックアップしていただきました。とても具体的であり、それらを直視した次第です。

 

1)マンガを読み解くにしろ、その要素はどう会得したらよいのだろう…どうも自分のアプローチは微妙な気が…

2)そもそも自分は勢いで投稿コースに応募したが、マンガになにを欲望しているんだろう?

 

1)に関しては、描いてみないとマンガのすごさなんてわからないというご指摘を頂いたわけですが、薄々描いてみないとわからないのでは?と自分でも感じていました(これまた逡巡著しい文面からご指摘いただいた通りなのですが)。

 

きっとそれに気付きながらも、うーんでも描くのはハードル高いなと逃げていた気がします。

  

2)に関して、今回の投稿で自分が打ち出した欲望は、苦しみ紛れに作り出した、取り繕いだったと思います。さやわか先生の「その目的でマンガを介するのは遠回りでは?」という言葉でこの取り繕いに気が付きました。

 

自分は勢いで投稿コースに突っ込み、既成事実を後出し解釈する形で、欲望を無理矢理つくっていたのだと思います。何か物語を作りたいという欲望を無理矢理マンガへと接着したわけですが、そこには実のところ接続は生まれていなかったのです。

 

というわけで、今回のコメントを受けて、改めて自分のマンガへの欲望と向き合いました。自分の中で確かなのは、数多くマンガを読む中で、9月投稿で取り上げた『波よ聞いてくれ』のように面白い、すごいな、読んで良かったと感じるものの拠り所を、もっと具体的に知りたいという欲望です。

 

今回、さやわか先生にご指摘いただいた通り、現状の私のマンガ認識ではマンガ表現のすごさなのか、沙村広明という作者のすごさなのか、全くもってはっきりしていません。

 

自分自身がマンガ表現の過程を経験し、作家特異性を浮かび上がらせるラインを持たないといけないと理解しました。

 

また、捕らぬ狸の皮算用的なことではありますが、現状、ぼやっとしたこの拠り所をクリアにしていくことで、自分の中のマンガというものの形が変わると思います。そうなれば、もしかすると、物語を作りたいという欲求と、改めて取り繕いではなく、接続されるのかもしれません。

 

いずれにしても、今回さやわか先生のコメントで1)の答えは明白なわけで、それに挑戦するしかないだろうと考えました。

 

描いてみるしかない。

 

しかし、投稿コースに登録しておいてあれなのですが、見様見真似で描いてみるにしても、あまりに自分はマンガのことをわかっておりません。描くにしてもその手順すらさっぱりです。

 

自分の中に物語を持っていたとして、それをどうマンガに落とし込むのか、今月の投稿までに立ち向かうにはあまりに高い壁です。

 

では、その状況を受け入れ、残された時間でどう前進するか…

 

そう考え、思い至ったのがネーム模写でした。

 

正直、そもそもネームがなんたるかすら、きちんと理解できていないのですが、本を読んだり、さやわか先生や大井先生の配信動画などから学ぶに、マンガの精緻な設計図という理解に至っております。

 

まずはマンガの完成品をこの設計図の形へと分析することで、逆行的にマンガ表現を学べるのでは?と考えました。

 

 

 

というわけで作成したものが添付になります。

 

急拵えのアナログ取り込みという点はどうかご容赦ください。

 

さやわか先生や大井先生がどこかでネーム模写の心得をまとめられている可能性を考え、できる範囲で探し回りはしたのですが見つける事ができず、今回は自分なりにマンガの要素を考え、模写してみました。

自分の設計図からマンガを立ち上げることができるのか?という点を念頭に、

 

・コマ割りと吹き出しをきちんと再現する

・台詞の配置もきちんと再現する

・背景や人物の表情などその意味をちゃんと抽出する

・表現の工夫として気付いた点はきちんと書き出す

 

に留意して行ってみました。

 

模写した作品は、自分がすごいと感じたマンガ+私が表現できたらと考えているものを描いているマンガという判断基準で選びました。

(*:内省的で陰鬱ながらそれを開いていこうとするもの)

 

押見修造の『ハピネス』1巻P34,35です。

 

この作品は吸血鬼というわりと手垢の付いた題材の物語であり、選んだ場面は主人公がノラという吸血鬼と出会い、襲われた後、吸血鬼化へと誘われるシーンです。

 

選んだページは前後を主人公誠目線のノラの顔のアップで区切られています。突然の遭遇と受け入れがこの2ページに集約されています。従って、短いながら取り出し可能な場面ではと考え、選びました。

 

 

 

今回はA4の紙に、比率が同じになるように模写を進めました。

 

具体的には以下の手順で描いています。

  

  • コマをまず再現する
  • 吹き出しと人物を、配置を意識しながら模写
  • 吹き出しの違いを書き出し
  • 表情や人物まわりの読み取れた表現を書き出し
  • 背景の模写と意味の書き出し

 

やってみて総じて感じたのは、月並みではありますが、実際に描くのはなんて大変なんだという実感です。

はじめての密度の薄い、しかもネーム模写にも関わらず、驚くほど時間がかかりました。ただ、さやわか先生の仰る通り、描かないとわからないことの片鱗は認識できたように思います。

 

また、逆に、この表現は一体何を狙っているんだ??と迷子になった点もありました。

まず、この2ページから得られた点を記していきます。

 

・カメラ位置とそれを自然にする表現

この2ページは基本的に吸血鬼ノラと主人公誠の目線で描かれつつ、2つの強調された外部目線のコマで作られていました。基本的に誠は仰向けに倒れ、それに覆い被さるようにノラがいる場面なのですが、ノラ目線ではしっかりと誠が地面に押しつけられて見上げているのが伝わってくるし、誠目線ではノラが覆い被さっているのがしっかり伝わってきます。そこで効果的な役割をしているのが目線と影です。誠の顔の横には沈み込むような影が落ち、きちんと見上げている視線が誠の眼には書き込まれていました。対して街灯を背にしたノラの顔は常に薄く全体的に影が沁みており、やはり目線はやや下を向いているようにしっかり表現されています。

目線はまだしも、この影は実際に模写しようと要素を分解しなければ私の場合気が付きませんでした。

 

・ノラの言葉の強調

吹き出しを再現し、実際にその中へ言葉を埋め込む。その作業の中で、吸血鬼になって生き延びるか、それとも死ぬか*、それを迫るノラの言葉は他の台詞とは違ってボールドがかかっているのです。このシンプルな表現が実に効果的で、台詞の重みが自然と伝わってきます。誠の行く末を大きく変える誘い。それが作者の中ではっきりしているから、さらりとボールドをかけられているのでしょう。いずれにしても、この微妙な変更。やはり自分で台詞を取り出し、再現しようとしなければ見つけられなかったものでした。

 

*:吸血鬼に襲われた人間は血を吸い尽くされて死ぬか、吸血鬼として血を求めるものとして生きるかの2択がこの物語では設定されています

  

 

 

一方で、模写してみて明らかに表現として組み込まれているいるものの、その意味が今一汲み取れなかったものも見つかりました。また、マンガ表現としてこれはどういう効果を持っているんだろうか?と疑問を持ち、つい他のマンガ作品ではどう使われている表現なんだろうかと興味を抱いたものも見つかりました。

 

・必ず描かれる親指

襲われ、血を吸われ、組み敷かれた誠。彼は噛まれた部位を右手で押さえているのですが、常にその親指が描かれているのです。手全体が描かれるわけではなく、親指だけが執拗にコマに残ります。単純に考えたら、噛まれたところを必死におさえ続けていることの強調なのかも知れません。ただ、やたらこの親指はディテールも書き込まれており、もしかするとそれ以上の意味が付されているのかもしれない…新たに生まれた謎でした。

 

・横からの俯瞰図ではじめて描かれる睫毛

やはり身体部位に関わる点ですが、この2ページ、どんなに顔がアップされても、誠、ノラともに睫毛は描き込まれません。にもかかわらず、ページまたぎの大コマ、横から二人を描いたコマではノラの睫毛だけがしっかりと描き込まれているのです。ぼんやりと描かれる二人の口元とは対照的に描かれる豊かな睫毛。このコマで画面の大部分を占めるノラの黒髪と共に闇の延長線としてのノラを表現しているのでしょうか?

 

・コマなき俯瞰

前述したように今回の場面で二人の目線以外のカットはもう1つあります。ノラの頭の延長線上にカメラを置いた俯瞰図なのです。しかし、このカットはコマにおさまっていません。この2ページで唯一二人の全身が映し出されたこのカットはコマというトリミングを壊し、まるでスポットライトに照らされるように浮んでいます。

 

思えば、他の作品でもコマの括りなく描かれる場面はあるように思います。

 

このコマを描かないというのはどういった効果を期待できるのでしょう?今回のハピネスでは何処までも拡がる空間の中、二人だけの世界ができあがった様が印象づけられたように私は感じました。コマを描かない。マンガ家はどんな効果を期待してその表現をくりだすのだろう。心底気になります。今回は余裕がありませんでしたが、いずれ調べたいものです。

 

 

 

他、今回ネーム模写してみて、今まで漠然としながら感じていた押見修造らしさの痕跡にも少し触れた気がします。

 

今回の2ページ、ノラの美しい姿が表現される一方で誠の剥き出しの恐怖、その醜さが隠されることなく表現されています。

 

同じ液体でも、ノラの口周りに広がる漆黒の血は美しく、誠が眼から、鼻から、口から垂れ流す分泌液は生々しく醜い記号です。

ストンとゆっくり置くように投じられるノラの言葉と違い、誠は死にたくないという言葉もスムーズには口にできない。怯えが共振して歯もカチカチと鳴る。

 

普通美しさを描きたいと、創作者は自然と現実の醜さとは距離を置きたいところだと思います。

 

美しいで世界観が統一された作品は多い。

 

そして、その逆もしかりで、リアリスティクな人間の醜さを描こうとすると、自然と世界はリアルで醜さを隠さないものに統一される気がします。

 

しかし、押見修造はこの2ページの中でもその両極端な美しさと醜さを行ったり来たりしながらも、統一された世界を成立させている。

 

そのアクロバティックな成立は、両者の視点の目まぐるしい入れ替えと、それをきちんと統合する効果的な俯瞰図で成立しているのかもしれません。

 

 

 

以上がはじめてのネーム模写で得られたものとなります。

 

これを踏まえ、今回の投稿では以下の点をお尋ねしたいです。

 

ネーム模写→マンガの基本的表現を学んでいく→基本表現と作者固有の表現のラインをつくっていく→何がすごいのか解像度高く捉える

この道筋を進めていこうとプランニングしたのですが、前回同様この経路におかしな接続はないでしょうか?

 

また今回ネーム模写をして改めて感じたのですが、マンガの基本表現と作者固有の表現、両者のラインどう形成されていくものなのでしょうか?

 

やはりよりその表現に肉薄する形で(それがネーム模写なのかまだ自信はありませんが…)多くのマンガを吸収し、その重なりの多寡で基本的なものか、それともかなり固有性の高いものか見極めていくというのがよい道の選択なのでしょうか。

 

今回の投稿では是非、

 

・マンガのすごいを探るために効果的なネーム模写にするため、軌道修正すべき点

 

・基本的なマンガと作者固有のすごいのラインの引き方

 

上記について御意見をいただけましたら幸いです。

何卒よろしくお願い致します。

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