【投稿コース】第6期 投稿コース講評:『河口(ネーム)』【9月分】
ひらめき☆マンガ教室第6期から新設された投稿コースでは、月に一度、ひらめき☆マンガ+内に投稿したマンガの中から自由にひとつの作品をえらんで講評を受けることができ、内容はひらめき☆マンガ+で公開されます。
第6期、9月分の講評には全6作品の申込みがありました。本記事では、えぴのみすさんの『河口(ネーム)』の講評をお伝えいたします。
1.『河口(ネーム)』えぴのみすさん
講評:さやわか先生
受講生アピール文
読者に不親切な極めて分かりづらい作品になってしまった自覚があります。例えば以下の点です。
第一に、「女が男を蹴り落とす」行為を繰り返していることを聖書の引用と台詞のみで表しているのが分かりづらいと思います。漫画なので、女の行為の繰り返しを台詞以外に画面の中で示唆する必要がありました(一応2ページ目で女が自分の手を見つめているのはその示唆のつもりですが、効果を果たしていないようです)。そもそも「全く同じ行為を繰り返す」というのが普通の世界の話ではないので、最初に世界観の提示が必要だったでしょうか?
第二に、女と男がそれぞれ「~は曖昧」と話している前半部が、テーマである繰り返しや後半部と全くつながっていないことです。作者としては、繰り返している世界というものが現実か夢か漠然としたもので、それは川と海が交じり合う河口に似ているとの提示なのですが、女が自分の行為に自覚的なことと齟齬をきたしています。8ページという短い作品なので、一貫した流れで描くにはどうすれば良いでしょうか(8ページにしたのは私の作業時間や能力に由来します)。
第三に、カラーにした理由をはっきりとは説明できません。なんとなく好みでラフに色塗りしたため、完成稿をつくる時の色のイメージも明確でないです。むしろ通常のモノクロで完成させるべきでしょうか。
ないない尽くしの作品ですが、講評よろしくお願いします。
講師講評(さやわか先生)
えぴのみすさん、ご投稿ありがとうございます!拝見しました!!さて、読者に不親切な作品になったと自作を振り返っていらっしゃることは、悪くないことだと思いました!何が悪かったかわかれば、次は、それをどうやって改善する(次回また同じような失敗をしない)べきか考えるステップに入れるはずだからです。
しかし同時に、えぴのみすさんが書かれていることで気になったこともありました。それは、各シーンのそれぞれの描写やシーンの転換がわかりにくいかもしれない、という考えが多くを占めていることです。
なぜそれが気になったのかというと、えぴのみすさんはまず、それらの描写やシーン転換によって、「読者に何を思わせたいか」「読者にどんな感情を生みたいか」が、より重要だからです。たとえば、これらの描写やシーン転換が読者にとって「わかる」ものになったときに、読者はどう思うのでしょうか。つまり「女が男を蹴り落とす行為を繰り返している」ということが、聖書の引用だけで伝わったとして、あるいは他に描写を補った結果として伝わったとして、それは、読者にとって悲しい出来事なのでしょうか?それとも笑える出来事でしょうか?あるいは恐ろしい、とてもイヤなことであり、物語の終わりには、解消されてほしいような出来事なのでしょうか?
それをまず自分の中で明確にし、そしてそれ(登場人物にとってこの事象が何であり、読者はそれを見てどう思うのか)をこそ、読者に示すべきかなと思います。すると、これらの登場人物の台詞や表情にはもっと感情が乗って来て、読者は「この人たちはどうなっちゃうんだろう」とか「頑張れ」とか、あるいはもしかしたら「さっさと死ねばいいのに」かもしれませんが、とにかく登場人物を追う形で作品を読むことができるようになります。これは、以前、僕がえぴのみすさんのご投稿についてご講評さしあげたことに関係があります。そのとき僕は次のように書きました。以下、引用します!
–引用開始–
もうちょっとこの視点人物(1ページ3コマ目で出てくる人)の心情に強く沿った、この人のドラマとしての漫画(簡単に言うと、この人の気持ちが作品内の経験を通してどう変わるか)にしてあげたほうが、より読み応えが出るかなと思いました。漫画はキャラクターに沿って読まれるものなので、ひとつのシーン、ごく短い時間内の動きを見せようとしたことは理解できるのですが、それを見せるために誰か一人のドラマをガイドラインとして置いてあげておくと、結果的にえぴのみすさんがやりたかったことが、読者に把握しやすくなると思います
–引用ここまで–
いかがでしょうか?「漫画はキャラクターに沿って読まれる」というところが肝心です。ここをはっきりさせないと、「この世界が繰り返しであること」をうまく「読者に伝わる」ように描くこともできないはずです。つまり読者にとっては「この世界が繰り返しであること」が理解可能であるということは、すなわち、ざっくり言ってしまえば「それが登場人物にとっていいことなのか、悪いことなのかわかる」ということであり、ゆえにこそ、物語がどのようなゴールを目指すべきなのかわかる、ということなわけです。
すると、物語には(そして登場人物には)、作品の冒頭から終わりまでに、この「繰り返し」をどうしたいのか、という目標が生まれます。そして、それが達成されるか否か、が物語の「一貫性」として立ち現れます。一貫しているように見えないと思われるようでしたら、ぜひ登場人物の心の動きと、それに伴った言動の流れとして、漫画を構成してみていただければ幸いです。
加えて、聖書の引用をするとか、「~は曖昧」という台詞を使うべきか否か、という件についても触れておきましょう。これも同様でして、それをすることで登場人物の感情(この状況をどうしたいか、相手をどう思っているかなど)がわかるなら、使うべきですし、そうでなければ使うべきではない、ということになります。それを踏まえて言えば、現状、これらの引用や台詞は、えぴのみすさんご自身のご説明では、この状況が繰り返しであるという「設定」を示唆するものだということなので、だとすると登場人物の感情にはあまり関係がなく、使うべきではないだろう、ということになるかと思います。
さらに、カラーにするか否か、ですが、これは以前のご投稿についてご講評さしあげた際に述べた「想定する掲載媒体は何なのか」ということに関わっています。一般的にほぼモノクロしか載せない雑誌媒体(たとえば週刊少年漫画誌)に載せるつもりなら、この漫画はカラーで描いてしまっているから、ダメ、ということになるでしょう。しかし、自分のTwitterなどで、あるいはひらめき☆マンガ+に投稿するだけの漫画である、というのであれば、特に規定がないのでカラーであってもかまわない、ということになります。
ほかにも、作品としてカラーであるべきか否か、という基準はあると思いますが(えぴのみすさんは、どちらかというとそちらの方が気になったのかなと推察しましたが)、その前に、まずはこれが誰を読者として考えた、どこに載るべき作品なのか、というところから考えた方が、考え方の手順としてはシンプルになると思います。
いかがでしょうか。作品を拝見して思ったのは、そんな感じなのですが、よかったらぜひ、ぜひ!!次回作の参考にしていただき、次のステップへの前進をしていただければうれしいです!
講師講評ここまで
以上になります。
えぴのみすさん、講評にお申込みいただきありがとうございました!
おわり