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【WS】藤原ハルさん「1/720の初恋」感想文


藤原ハルさん「1/720の初恋」
https://hirameki.genron.co.jp/issues/task2023/task4/56/Immediately/

絵の密度と完成度の高さもあって、ヒロインの女の子「吉田絵莉」の魅力が存分に伝わってくる一方、主人公「森くん」の抱える世界が簡単には見えてこないところに、この作品の奥深さや読み応えを感じている。

地方の小学校に通う、粘菌の図鑑ばかり見ている森くん。
その森くんのクラスに、東京から転校してきた吉田絵莉。
彼女に告白すると意気込む、クラスの中心的人物、圭太。
そして物語の最後で、圭太を投げ飛ばす吉田絵莉を見た森くんは、失禁する。

なぜ森くんは吉田絵莉に恋したのか?森くんは吉田絵莉になにを見たのか?
その表現を分解していくことで、森くんが抱えるものが少しだけ明らかになってくる。

森くんが眺めている図鑑に載っている粘菌については、作者コメントや作中のセリフにもあるように、その性別の種類が720にも及ぶことが知られている。森くんはそんな粘菌の図鑑をながめたまま、圭太が吉田絵莉への告白を宣言してクラスがざわついても、けしてそこから目を離そうとはしない。

集団のなかにはいない、輪から外れている森くん。
集団での立場を利用して、そして集団での立場のために吉田絵莉を利用しようとする圭太。吉田絵莉は明らかな愛想笑いを浮かべて、そんなクラスメイトたちの輪をやり過ごそうとする。

森くんが吉田絵莉に強烈な興味を抱くのは、彼女が圭太を拒否するのを目にした、まさにそのときだった。吉田絵莉の抜けた歯を見たその瞬間、彼の意識は粘菌から宇宙へと飛んで、そして地上に戻ってくる。

森くんは彼女の欠けた前歯に、その欠損に、じぶんと同じものを見たのではないのか?
つまり、集団になじむという能力の欠如や、
そのいたたまれなさや、
あるいは、集団を動かしうる強いニンゲンや、
そのために他人を利用することへの反感を、
彼女の欠けた前歯に見て、そこにシンパシーを感じたのではないのだろうか。

森くんははじめて、粘菌以外に、じぶんと世界をつなぎうるものに出会ったのではないのか。

一方で、直接的には描写されてはいないが、粘菌にはもうひとつ特徴的な能力が存在する。

「粘菌コンピュータ」という語があるように、モジホコリのような変形菌は、単細胞生物ながらある種の知性のようなものを示すことがある。迷路の奥にある餌の場所まで最短経路で移動したり、あるいは、くり返しやってくるストレスのパターンを理解して体を収縮させるなど、学習能力を示唆するような研究が存在する。

もし森くんが愛読する図鑑にそのことが書かれていたとしたら、
そしてそこに、その変形体のカラフルで芸術的な写真が載っていたとしたら。
森くんには、せまい教室のゴタゴタが無意味で非合理なものに見えたかもしれないし、吉田絵莉が振りまいていた偽物の笑顔も、それに群がる女子たちも、きっと美しくは見えなかったのだろう。

だが粘菌の、その美しさや知性はすべて、生きるために存在するのだ。

物語の終盤で、森くんは失禁する。
自分と同じものを抱えた個体を、1/720の確率で見つけた直後に、彼は生きるための反応を示す。あまりにもなまなましいその表現に一瞬驚いたが、その直後に彼は吉田絵莉への告白へと向かう。

疎外から「ふたり」へ、知から生へ。
もしこのあと、森くんが吉田絵莉にフラれてしまったら?そのときの森くんの態度にこそ、知とも生ともまた異なる価値観、つまり「人間」が問われるのだと思う。

他者に対して、自分を拒絶した相手に対して、
思いやりを持てるのか。
適切な距離を保てるのか。

そこまで考えて、ぼくは最後のコマに映る森くんの背中を、ますます応援したくなった。

<了>

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