ほぼ日コンテンツ摂取記録;「蔡國強 宇宙遊 ―〈原初火球〉から始まる」展示
国立新美術館で開催されている「蔡國強 宇宙遊 ―〈原初火球〉から始まる」に行ってきた。
作者についてのプロフィールはこちらにある通り、
https://www.nact.jp/exhibition_special/2023/cai/index.html
中国、日本、ニューヨークと渡り歩き、中国の故郷へと帰り、そして再び日本へというのが今回の展示(およびいわきでのイベント)ということのようだ。
宇宙(ひいては科学技術)に対しての熱量を、爆薬という熱量に仮託して描かれる作品群。遠大なものを題材としながら、瞬間的な爆破を切り取る形の表現。
物理の世界で、物大きさをウロボロスの輪にた例えることがあるが、10の0乗=1をヘビの腹において、頭に行くほど、数字が大きくなり、尻尾に行くほど数字が小さくなる。その尻尾をヘビの頭がパクりと咥えた絵だ。
巨大な世界とミクロの世界、物理では大きすぎるものを描く時、小さなものを考える必要が生じるという現象がままある。そのイメージだ。
ブラックホールの研究に素粒子の理論が必要なように、ロケットの計算をするときに、相対論が必要なように。
広く巨大な宇宙、科学技術信仰を相手取る時、作者は爆破として、その瞬間を焼き付けることで対応した。
何かを表現する時に何が最適か。
そのことについて、この作者は一つの、作者なりの答えを得た、その瞬間についてのコメントもあった。
それが爆破によるものであるのは、奇抜なようにも見えるが、背景のテーマを知ると、なるほどそれしかないか、と思えるのであった。
けれど、初期の作品からそれは汲み取れなかった。むしろ、ある種の迷走のような、衝撃的なことをしてやるのだというように思えた。
しかし、だんだんと、宇宙と爆発の距離感がわかってくる、作品と繋がってくるような気がする。最後に作者は改めて初期作品群に立ち戻ると、すごくよく風景が見えてくる。(気がした)