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漫画家志望による「自分もこんな話が描きたい」『邂逅』


0. はじめに

本課題に取り組むにあたり、そもそも普段、評論文をほとんど読んでいないことに気付きました。

そこで、夏目房之介先生の『マンガと「戦争」』を拝読しました。

「最初に書き手の戦争に対する立場が記されているな」「年代順に作品を紹介しているな」「挙げている作家の全作品を読んでいるのだろうか」「語彙力がすごいな」「読んだ当時の感情が挟まれることで、読者の感情にも訴えてくるな」など、読みながらさまざまなことを感じました。一方で、「○年代」と言われても頭の中に引き出しがなく、自分の歴史に対する解像度の低さや無知さも痛感しました。

その結果、マンガの感想は書けても、マンガ評論を書くことは自分には難しいのではないか、という結論に至りました。

そこで今回の課題では、『邂逅』で何が描写され、どのように機能しているのかを分析し、それを自分の作品にどう活かせるかを考えることをゴールに設定しました。

 

 

  

1. この作品の構造

1p

田舎の食堂で、客たちがテレビを見ている。

テレビには「妖怪ハンター・カネヒラ」という怪しげな男が映っている。

モブらしい人物たちの視線が動く(メクリ)。

2p

テレビに出ていたカネヒラ本人が、実際に食堂に来店している。

モブたちによる「カネヒラはすごい人物だ」という噂話。

それを受けての、カネヒラの自信ありげな笑み(メクリ)。

3p

カネヒラは「妖怪さんに会いたい…」と思っている(キメゴマ)。

4p

実はカネヒラは妖怪好きだが、これまで一度も妖怪に会ったことがない。

そこへ何者かが来店する(メクリ)。

5p

妖怪に会いたいカネヒラの前に、明らかに人間ではない人物が現れる。

そのおかしさに気づくカネヒラと、人外の二人のツーショット(メクリ)。

6p

目の前の人物はカッパだった(キメゴマ)。

7p

慌てて後を追うカネヒラ。

顔をあえて見せず、モブに「お客さん?!」と言わせることで、「今どんな顔をしているのだろう」と読者を誘惑する演出(強いメクリ)。

8p

カネヒラのキメゴマで、前ページの誘惑をしっかり回収する。

手のアップで再び読者を引きつけるコマ(強いメクリ)。

9p

実はモブたちも妖怪だった、というオチ

 

  

2. 使われているマンガ表現

キャラクターデザインが記号として機能しており、「カネヒラ」「カッパ」「モブ」の区別が視覚情報だけで伝わるため、非常に読みやすい。特にカネヒラのキャラデザはツカミとして秀逸である。

毎ページの最終コマに次のページへ視線を引っ張る仕組みがあり、読む手が止まらない。

描き文字一つひとつにも役割が与えられており、没入感を高めている。

カネヒラのギャップが、画面の黒ベタの情報量によって視覚的に表現され、感情の振り幅が分かりやすい。

コマに置く絵のサイズが適切で、「トーン+手元アップ」といった誘惑するコマがページをめくらせる装置として機能している。

漫符の使用により、ギャグ漫画としての分かりやすさや親しみやすさ、「安心して笑える環境」がしっかりと用意されている。

キャラの描き込み具合も絶妙で、例えば9pのモブ店員の少女の顔周りの描き込みは、8p分引っ張った後に登場することで、演出と噛み合い強い印象を残している。 

 

  

3. その選択が読者に何を起こしているか

全体として、作劇に合わせて作画が行われているため非常に読みやすく、読者は世界に没入しやすい。

また、カネヒラのキャラクターデザインは、ツカミとして機能している。

ここでいう「ツカミ」とは、単に突拍子もない出来事を起こすことではなく、読者を「これから座ってほしい座席」へ案内することだと思う。

カネヒラの場合、「この胡散臭いおじさんの、おもしろい話ですよ」ということが、1p目の1・2コマ目の日常描写と、3コマ目のギャップによって提示される。さらに、それを受けたモブの反応が、読者の立ち位置を明確にする。

この流れによって、1p目の段階で座席への案内がほぼ完了しているため、その後の作劇も安心して楽しむことができる。

   

 

4. その方法はなぜ有効だと思うか

本作の表現が有効に機能している理由は、読者に「どう読めばいいか」を早い段階で提示している点にあると思う。

カネヒラのキャラクターデザインや1ページ目の構成によって、読者は「これは胡散臭いおじさんを中心にした、少しおかしな出来事を楽しむ話なのだ」と理解できる。この理解が早期に共有されることで、読者は構えすぎることなく、ギャグとしての誇張や違和感を素直に受け取ることができる。

また、毎ページに配置されたメクリの装置や、情報量がコントロールされたコマ割りは、読者の視線や期待を自然に誘導している。その結果、物語の理解に余計なエネルギーを使わず、「次は何が起こるのか」という楽しみに集中できる。

このように本作は、キャラクター、演出、ページ構成を通じて読者の読み方をコントロールしており、それが短編としての読みやすさと没入感につながっているため、この方法は有効だと感じた。

   

 

5. 自分ならどこを真似したいか

全部。

お手本のようなマンガなので、そう言い切って終わりにしたいところだが、ここでタイトルにある「自分もこんな話が描きたい」の「自分」の部分を少し紹介したい。

私はもともと、マンガよりもゲームが好きな人間だった。理由は、マンガを読んでも「席に座れた」経験が少なかったからだ。ゲームであれば、最初から自分で操作でき、物語を完全に理解できなくても、ボタンを押す快感や音楽演出、美しい世界観だけで楽しむことができる。

とはいえ、操作が下手なのでアクションや対戦は苦手で、物語を理解できないためRPGも途中で飽きてしまう。叩きのめされるのは嫌いだが、取り返しのつかないシミュレーションゲームにはなぜかハマっていた。

つまり、世の中の娯楽に対して、自分が何を求めているのか、どう楽しめばいいのかが、ずっと分からなかったのだと思う。

しかし、ひらめき☆マンガ教室に来てから、マンガで「座席につける」経験が以前よりも格段に増えた。

座席につけると、マンガは楽しい。

なぜなら、これまで一度も話したことのない人と、「あれ、面白かったよね」と喜びを共有できるからだ。

他者と喜びを共感できる経験は、とても素晴らしい。

私がエンタメに対して渇望していたのは、まさにこの感覚だったのだと思う。

そして古西さんの『邂逅』は、読者を丁寧に座席へ案内することで、この体験を提供している作品なのではないだろうか。

だからこそ、漫画家志望の私は『邂逅』を読むと、「自分もこんな話が描きたいなあ」と思うのだ。

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