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マンガと「抜け感」


「抜け感」という言葉がある。写真、建築、デザイン、ファッション、メイクなど様々な分野で使われる言葉だが、ここでは建築・インテリアにおける「抜け感」に限ると、「視線をさえぎらず、空間を奥の方まで見通せるようにすることで生まれる、広々とした開放感」のこととされている(デジタル大辞泉)。ただがらんとした広い空間があればいいわけではなく、適度に空間が区切られ、天井や壁、段差、光などで視線の流れをつくることで、「抜け感」のある建築になるのだという。

 

空間を区切り、視線の流れを作る。何かに似ていないだろうか。

 

長谷川 右岸『UFO』でとりわけ印象に残るのは、後ろにUFOが見える、今すぐ後ろを向けと説得された女子がしぶしぶ振り向いた瞬間、3ページ5コマ目のコマだろう。もちろん彼女の目にUFOは映らないのだが、読者の視線は振り向く彼女と奥に続く左右の電柱やフェンスに導かれ、UFOのいない広々として開放的な空にたどり着く。まさに建築的な「抜け感」が生まれている。マンガを読むことの快楽はさまざまにあるが、ページをめくりコマに目を動かすことで生まれる空間性、開放感、「抜け感」を感じることにもある。

 

長谷川 右岸『UFO』より(3ページ5コマ目)

 

長谷川は課題1「自己紹介を物語として描く」提出作でも同様の「抜け感」のある風景を描いている。『五反田水系に流れて』7ページ5コマ目には、「着いたぞ」という謎の案内猫のコマに続き、雑木林を抜ける薄暗い階段を見下ろし、五反田の分水界になっている暗渠を見通す背景のみの大ゴマがある。読者はこの場所に生まれている「抜け」をなぞるように目を動かし、開放感を得る。『五反田水系に流れて』は「ブラタモリ」的ウンチク街歩きマンガとしても読みやすい作品になっているが、特別な読み心地を与えているのはこの「抜け感」のある背景コマだろう。別の言いかたをすれば、この「抜け感」のある背景コマこそが、長谷川のマンガにおける「抜け感」になっている。

 

長谷川 右岸『五反田水系に流れて』より(7ページ5コマ目)

 

マンガはコマや絵の配置で読者に視線を誘導し、そのリズムでページを繰らせることで成立する表現である。建築やランドスケープデザインがそうであるように、レイアウトや演出の妙による視線の誘導が、各部の機能性やディテールを超えて総体としての空間把握や満足につながる、それがいわばマンガの「抜け感」だ。マンガを描き慣れない初心者はキャラでストーリーを進めるのに手一杯になり、背景コマをうまく使えないようなケースがあるとよく聞く。長谷川もまだマンガの執筆歴は短いというが、もともと地形に興味があり(京都出身の長谷川は急な坂や階段が多い東京の地形が新鮮でたびたび散策しているという)、その興味や経験から「抜け感」のある背景コマを生み出し、それによって「抜け感」のあるマンガを成立させているのだろう。

 

『追走少女』(課題3「画面を作る」提出作)の5ページ3コマ目で見える切り立った高い擁壁。くねくねと折れ曲がりながら登っていく階段。アクションの途中の、とくにストーリーの要請もない地形だが、これもまたおそらくは長谷川が起伏のある関東の地形を見回った経験から生み出された「抜け感」のある背景コマだ。長谷川による今後のさらなる「抜け感」のあるマンガに期待したい。

 

長谷川 右岸『追走少女』より(5ページ)

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