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『邂逅』に見るマンガ作品の誕生の瞬間


「マンガ」という言葉には、言語としてのマンガという意味と、面白いマンガ作品という意味の二つがある。

 これは、ひらめき☆マンガ教室の受講生、長谷川右岸さんの指摘だ。この指摘は「マンガ」を学ぶことの意味を教えてくれる。日本語で小説を書くためには、(1)日本語の文章を書けるようになることと、(2)日本語の文章を使って面白い物語を書けるようになることの2つが必要なように、面白いマンガ作品を書くためには、(1)マンガ語を使えるようになることと、(2)マンガ語を使って面白い物語を書けるようになることが必要なのだ。マンガを描く中で、単純な絵の連なりとしてのマンガ語が、一つのまとまりを持った面白いマンガ作品として立ちあがる瞬間がある、とも言える。

 マンガ語とマンガ作品との関係を考えるために、古西さんの『邂逅』を参照したい。

 『邂逅』は、ひらめき☆マンガ教室の第一回課題として提出された。その課題とは「自己紹介を物語として描く」というものだ。受講生は、「実際に経験したこと」や「その時に抱いた思い、そして時間が経った今の考え」を使って、16ページ以内で自由に物語を描くことを求められた。古西さんは、遠野に訪れたときの経験をもとに妖怪の登場する話を書くことを選んだ。

 講義の一週間前にネームが提出され、講義での講評を経て、一か月後に完成稿が提出された。

 『邂逅』はネームと完成稿のあいだで飛躍的な変化を遂げて、別作品に生まれ変わった。しかも、同一の骨格を保持しながらそれを行った。

 完成稿では何が変化したのか。

 最初に目につくのは、主人公だ。妖怪好きの普通の青年が、妖怪ハンターカネヒラという、強烈な中年男性に変わっている。

 ミスターカネヒラは、白い筋の入った波打つ黒い長髪にサングラスという強面を持ち、着物に指なし手袋、という奇抜なファッションをしている。その強烈な外観はページから飛び出して読者の目を引く。妖怪好きで、着物、サングラス、手袋と言えば、有名なミステリー作家を思い出す人もいるかもしれない。

 カネヒラは1ページ目で華々しく登場する。カネヒラの登場によって、『邂逅』は、変わった出で立ちの謎の男が何をしでかすのかを面白がる作品へと変身する。この時、遠野という土地の背景は失われるとともに、フィクションとしての強度が上がる。

 実際、作者はカネヒラの紹介のために最初の4ページを費やす。ネームから2ページの増加だ。4ページのなかで、カネヒラは最初「これは妖怪の仕業に違いない!」とテレビの中で叫びながら登場し(P1)、ひっつみ屋でひっつみを前にズオオオンと重苦しい雰囲気を漂わす(P2)。店の客の目から、カネヒラに対する恐れを告白させ、カネヒラの恐さを際立たせてからP3の下半分を使って、「妖怪さんに会いたい…」と打ち沈むカネヒラを描く。P3のカネヒラのアップ(図1)は、黒い背景に対して白黒のコントラストで人物を浮き上がらせ、顔を立体的に強調することによって、カネヒラの悲しみをギャグ化する。白と黒のコントラストにはグラデーションがあり、そのグラデーションはベタと縦線/網掛けで表される。カネヒラが妖怪に思いを馳せるために使われるのは、水本しげるによる『妖怪大図鑑』であり、ネーム時のスマートホンから変更されている。

図1

 続いて、P6の2コマ目(図2)でカッパに遭遇して驚くカネヒラが描かれるが、このコマは黒地に白抜きで表現され、カネヒラの顔も黒い縁取りと白の二色だけで表される。そのことによって驚きが強調される。面白いのは、このようなコントラストのはっきりしたコマが、ストップモーションのように機能することだ。それまで動いていた話が、そこで一瞬氷る。

図2

 次に、P8の1コマ目(図3)で、カッパを追いかけて店を出るカネヒラの喜びに輝く顔のアップが描かれるが、その時、カネヒラはサングラスを外している。ここで、サングラスをつけた強面の男性が、つぶらな瞳のかわいい顔をしていた、という定番のギャップが提示される。この展開を作るために、作者は、前ページの最後のコマで、サングラスを外す様子を描く。P8の1コマ目で喜ぶカネヒラは、白地に薄いグレーのトーンで描かれ、少女漫画のようにキラキラと光の粒が散る。今まで、暗めの色味をまとうごつごつした強面のイメージだったカネヒラが、一転して、少女漫画よろしくキラキラと輝きだすこのシーンでギャップが最高潮に達し、読者の気持ちもいっしょに解放される。なお、このコマが薄いトーンでありながら物足りなく感じないのは、作者が線に強弱をつけることで豊かな表情を与えているからだと思う。

図3

 落ち込むカネヒラ(図1)、驚くカネヒラ(図2)、喜ぶカネヒラ(図3)のリアクションは実に表情豊かで、読書のアクセントとなる。それらのコマで目が止まり、感情が動かされる。カネヒラの落ち込む姿に笑わされるとともに、かわいらしさを感じてキュンとなる。

 カネヒラのリアクションに作品が集約された結果、遠野という現実の世界との結びつきは消える。完成稿の世界は、遠野でもなければ日本でもない、どこでもあり得る架空の場所だ。完成された『邂逅』で表現されるのは、好きなものに出会った時の心の高まりだ。本当に好きなものに出会った時の人間の取り乱しぶりに読者は共感し、愛おしさを感じる。極論すれば「好き」の対象はなんでもいい。

 架空の世界における妖怪の描かれ方も重要だ。カッパのカワウチさんは、ツルンとしたシンプルな線で描かれる。三頭身くらいしかなく、丸っこい。平坦な線と低い頭身は、マスコットやゆるキャラを思わせる。カネヒラが、強弱のある線で描かれ、ダイナミックな凹凸を持つのとは対照的だ。もし、カワウチさんが強弱のある線でリアルに描かれていたら、この作品はまったく別のものになっていただろう。その場合、『邂逅』の持つ世界観は失われ、カネヒラというキャラクターの強烈な存在感も薄まる。強面だがかわいらしいカネヒラの面白さを成り立たせるためにも、妖怪はマスコットのような単純さが必要だったのだと思う。

 『邂逅』の制作過程を追うことによって、マンガ言語が面白いマンガ作品へと浮き上がる様を垣間見ることができる。それはまた、ミスターカネヒラというキャラクターの誕生の瞬間に立ち会うことでもある。ミスターカネヒラを生み出し、息を吹き込んだ古西さんというマンガ家の想像力に驚嘆する。

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