
長谷川右岸さん作「UFO」を読んで
このブログ記事はワークショップ「マンガの読み方・評し方」受講前の提出課題です。
他人様の作品に対して批評・論評を書けるほど学も言葉も持っていませんが、せっかくの機会なので、ひらめき☆マンガ教室の課題に触れる中で感じたことを書き留めてみます。
そして僕が今回選んだのは長谷川右岸さんの提出作品「UFO」です。
論評に入る前に、自分の長らく抱えている問題意識についてなんですが……
マンガというのはすぐに読みにくくなる。
とマンガを描いてて繰り返し思っています。連載中のネームならともかく、0→1を作らねばならない読み切り(あるいは連載第一話)においては特にすぐ起きる、何個描いても毎度起きる。複数の重要なことを同時進行で描いていかないといけないので、調整が難しい。ナレーション説明に逃げても芸になりにくい。
懊悩の末に出来た「これならいけるだろう」「傑作出来てもうた」と思ったものが一晩立って翌朝読んでみると全然読みづらい。あるいは読みやすくたってクソつまらない……。
あるあるな話ですが、そんな時、その原因が冒頭1~3ページにあることが多い。と思います。
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長谷川右岸さんの「UFO」を選んだのは その点において非常によく出来ている作品だと思ったからで、というのは冒頭のページで「どういう話なのか(何が主題の物語なのか)」「主要登場人物の関係性」がよく分かるからです。特に、キャラの関係性まで分かるのがすごいと思いました。
多くの人に読んでもらえる作品というのは、魅力的なキャラ(の魅力的な感情)を関係性を通して味わえることが大前提としてあるので、それが1ページ目で分かるならそれに越したことはないかなと。
「なるほど”借金取り立てが成功するかどうか”を楽しみに読めばいいんだな」と分かるし、「現代日本らしきところに女学生2人がいるんだな」も見てすぐ分かるし、「何かをごまかそうとする時に使う下手な方便」を言ってるんだな、というのもすぐ分かる(それが本当だった、という”意外過ぎない”意外性も良いし、それを「同じシーンを違う視点で描く」ギミックを活かしている点もすごいと思いました)。
描きたいものを描きたいように描くことは、マンガというものを初めて描き始めた小学生時代の僕にも出来たことですが、自覚的にこうしたシーンを編むことは(やってみようとすると余計に分かる)大変に難しい技術で、再利用可能な理屈を自分の中に持ってないと安定して出力できない。ひらめき回での長谷川さんとさやわかさんのやりとりを聞いた上でのことでもありますが、かなり再現性のある理屈を使いこなしておられるんだろうな、と思った次第です。
オチが可愛いのもよくて、可愛いもの好きの自分に刺さった部分です。
(商業作品として見た場合は、冒頭からオチまで一本何か軸を通す必要はありそうですが)
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人間の脳はそれほど沢山のことを一度に意識して考えられない。
「冒頭3ページまでに主要キャラの関係性、および”この物語をどう読んだらいいか”を示すのだ」
(そうでなければ強烈な”ヒキ”を用意して読ませるのだ)
という方針に混ぜていい他の方針は限られてくる、と思いますが、ここで勝率の高い「方針」を設定して運用できるかどうかは、才能や現時点の技量に関係なく、考え方ひとつでかなりの改善が可能な領域だと考えています。
(もう少し踏み込むなら、それを磨いて「普通こう描くだろう」の把握の精度が上がれば、そこからの「外し」も意図的に入れられる……読み手を選ぶ結果になることが多そうですが……)
物語は「転がす」ものだし、冒頭が成功させられれば、オチはある程度操作可能と考えれば……
他の何よりも、冒頭をうまいこと描くための企画感や再現性のある理屈、方針を見出して磨いていきたいな、と思った所存です。
