
ひらめき⭐︎マンガ教室 第8期 第1回講義を受けて
このひらめき⭐︎マンガ+にアクセスした人は少なからずマンガに興味を持っている人だと
思う、その中でマンガを描いたことがあるもしくはマンガを描こうとして断念した人はどのぐらいいるのだろうか
かくいうぼくも後者のマンガを描こうとして断念した人なのです。
断念と言っても連載が取れないから断念など以前の問題で、
マンガを描くとわかるのですがマンガを描くのはすごく大変なのです。
マンガを書いている途中にマンガを描けなくなる考えがいくつも浮かぶのです。
例えば
・自分絵下手くそだなー
・このコマ割りこれでいいの?
・お話しってどうやって作るんだろう?
・そもそもお話しとして成立してなくない?
・こんなことしていて意味はあるのか
などなど
当たり前だけど人類はマンガを描くために進化してきたわけではないので
マンガを描くことは大変です。
また、ぼくは1976年生まれで今では信じられないかもだけどぼくの青春時代では
マンガやアニメを熱心に見ていると
「うわっきもっ」
などと言われ忌み嫌われる存在で、しかもマンガやイラストを描いているとバレようものなら距離を置かれるなんてことは多々あった事なのです。
実際、ぼくは迂闊にも教室で1989年に公開されたアニメ映画の主人公をイラストで描いていたら、そのイラストを手洗い場に捨てられた事があり、なんだかなぁと思った事があるのです。
とまぁそんな自分の青春時代の実体験とは関係なく
いいのか悪いのかは分かりませんが、最近のマンガというのは多くの人が
おおやけにマンガを読んでいるよと言えるものになっている気がしています。
その移り変わりについてぼくはまだ詳しく書き記すことはできないですが
TVやネットでマンガの事を耳にしたり見たりする機会は増えていると思います。
そうすると、マンガを語る口調がマンガはすごいものだという事をいうあまりに
作家やマンガを神格化して語り、それを耳にしたり見たりする視聴者であるぼくは
次第に自分の中のマンガというものが肥大化してマンガがすごく遠いものに
なっていました。
誇張して表現するのは商業的には注目を集めるのでわかるっちゃ分かりますがなんだかなぁとも思います。
その肥大化し遠いものになったマンガを手元に戻すようにマンガを変える力を持つ
というのがぼく自身の目標だったりするのです。
そうこの
「マンガを変える力を持つ」
というのはこれまたすごくたまたまですが
今期、第8期ひらめき⭐︎マンガ教室のテーマなのです。
おそらくこのマンガを変える力を持つというのは人それぞれで違い
この
「マンガを変える力を持つ」
を意識することによってマンガに対する新たな気づきが
着想されその着想から展開し応用することによって
自分のマンガに対する意識ややっていることを変化する事で
自分のマンガをより良いものや発展させていこうという意図があるのかなと思います。
また先ほど書きましたが
「人類はマンガを描くために進化してきたわけではない」
というのも十分意識的に変える事が可能なのではないかというのもあります。
人類はマンガを描くために進化してきたわけではないからこそ
人としてマンガを描いていくのだ。
というように意識的に変えることも可能だと思います。
そんなこんなで自分の目標である
肥大化し遠いものになったマンガを手元に戻すようにマンガを変える
というのもなんとか実現できそうな気がするのです。
なぜなら2025年5月17日土曜日、ゲンロンカフェにてひらめき⭐︎マンガ教室第8期の第1回講義に参加し、ここにはマンガに対して真面目に考え描いている人がいるのだと実感ができたのです。
実際にゲンロンカフェへ行きひらめき⭐︎マンガ教室の講義を受けてみると、
当たり前ですがマンガを描いている人がいるのです。
マンガというのは神ではなく人が悩みながら描いているのだというのが実感できるのです。
今まですごく遠くへ行ってしまっていたマンガが少し手元に戻ってきたのを実感でき、
自分のマンガパワーと言いましょうかなんと言いましょうかへの刺激になり
前向きにマンガと向き合えるようになった1日でした。
少しでもマンガってなんなんだろうとかマンガを描いているけど上手くいかないと
思い悩んだことがある方は来期受講してみてはいかがだろうか。