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『言葉にできない感動が、地球的視野を与えてくれる海外観光の魅力を伝える表現力を与える〜さとりさん「インドネシアティダアパアパ巡り」感想〜』


 インドネシア観光局日本人担当ミナミは、バリへの憧れから今の仕事に就いた。しかしバリ取材はすぐには叶わない。ブロモ火山取材を依頼された彼女は、凍え死にかけたり、1時間経過してもやってこなかったりするガイドの自分との慣習の違いに翻弄される。火山への道中の困難を、ティダアパアパの精神で乗り切ることを諭すガイドにも反発を覚えるミナミ。しかし火山が与えた地球規模の感動によって、彼女は優れたPR記事を書くことができた。このときのミナミの心の動きをたどることで、海外旅行・観光の持つ、言語を超える体験の持つ大きな可能性を感じることができる。

 

 ブロモ火山の崇高的絶景は、ミナミに地球を想起させる大きな感動を与えた。その感動は元激務コンサルの彼女に、「伝えきる自信ないなあ…」(p.15、4コマ目)と言わしめ、「かしましフランス人も Breath taking(息を呑む)レベル!」(p.15、2コマ目)だという。国際性、異文化コミュニケーションをテーマとするうえで、言語の違いが大きな要素になると感じる。しかしその異文化を最も端的に表す言葉の違いを乗りこえる感動が、ブロモ火山にはあった。日本人向けのPR記事を書く仕事を依頼された元大手コンサルのミナミ。彼女が言葉を失うという言語化できない感動をした時、記事の依頼主であるインドネシア観光局局長のイブ・サニダが「このブロモ火山記事・・・いいじゃな〜い! 感動した様子が伝わってくるわ!」(p.16、2コマ目)と称賛するPR記事を書くことができた。言葉を生業とするコンサルが言葉を失う感動こそが、現地の観光局局長が称える記事を書くための条件だということが、逆説的で面白い。

 「かしましフランス人」やインドネシア人に対するステレオタイプで偏見に寄った表現は、主人公ミナミの自国の言語文化に偏った、ネガティブな心性を現していると感じた。そんな彼女がブロモ火山を前にして言葉による思考を乗り越えたとき、国による文化の違いを乗り越え「地球!!!! 地球を感じる!!!!!!!」と、地球規模の一体感を感じるに至った表現は、海外へ旅行し、現地で感動を味わうことが、むしろ言語の壁を乗り越えることとして重要だと感じた。

 

 「激務の前職で過労死寸前だった私が抜け出せたのは バリの景色に憧れたから」(p.4、3コマ目)というミナミ。バリへの憧れが、激務のコンサルからの転職を決断させたのだろう。しかしバリ取材は叶わず、ブロモ火山に赴いた彼女は、はじめ不満を抱き、そのネガティブさが、外国人とのコミュニケーションに摩擦を感じさせ、国籍の違う他者にステレオタイプで偏見を含む印象を抱かせていたように感じる。そんな中、ブロモ火山の言語化できない感動は、バリに憧れ、過労死寸前だった激務の前職を抜け出すことができた彼女に、さらに言語的思考を乗り越え、地球を感じさせる体験を与えた。海外旅行とは、結果として異文化の象徴としての言葉を超える経験を与え、地球を意識させるような「地球旅行」とでも形容することができるような体験なのだと感じた。

 一方、オチにおいて、念願のバリ取材の仕事を依頼されたミナミが、チケットの日付の間違いに気づかず落胆する場面は、ティダアパアパ(なんくるないさ)の精神を内面化できていない様子が伝わってきて、さらにインドネシア文化に親しむ必要性を感じさせるものになっている。国柄、土地柄に基づいた感性を身につけることは、ブロモ火山がもたらしたような言語を超える感動を土台として、その土地の文化・慣習と深くコミュニケーションすることなのだと感じた。

 

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