【7/20用課題感想文】『河川敷レトロ』を読んで想い出された私の記憶
こんにちは。7期聴講生のオカピです。
今回は、7/20(土)に開催されるワークショップ「マンガの読み方・評し方」の課題として、どんどこすすむさんの『河川敷レトロ』の書評にチャレンジしてみようと思います。
拙い文章ではありますが、最後まで読んでくださると嬉しいです。なお、書評はあえて「だである調」で書きました。
▪️書評
私には忘れられない出来事がある。それは私が小学5年生の頃、4つ年上の姉に初めて喧嘩で勝ったことだ。私と姉は仲が悪く、些細なことでしょっちゅう喧嘩ばかりしていた。それまで全く歯が立たず、いつも負けて泣いてばかりだったのに、その日は姉の蹴りをくらっても耐えることができたし、お返しの蹴りをお見舞いすることができた。
そして、自分の蹴りをくらった姉が逆に耐えられず、最後にはおいおいと泣いていた。姉との喧嘩に勝つために特別な努力をした覚えはない。ただ「時」が経ち、自分の体が以前よりも成長しただけである。喧嘩に勝った私の心には、ほんの少しばかりの達成感と、目の前で弱々しく泣いている姉を見て感じた罪悪感の二つが同居していた。
それ以降、私と姉の関係は微妙に変化した。具体的には、殴る蹴るといった物理的な喧嘩をしなくなったのである。おそらく、喧嘩をした時にお互いが悟ったのだろう。もはや以前のような「喧嘩」ができる状態ではなくなったということに。
それほどまでに、時の流れは特に「男性」と「女性」の肉体に変化をもたらし、そして関係にも変化をもたらすということなのだろう。今回書評する『河川敷レトロ』にも、時の流れによって互いの関係を微妙に変えていかざるを得ない二人の絆を描いている。以前のように振る舞いたいし、何も考えず気楽に接したいはずなのに、いつの間にか「男性」として、そして「女性」として身体的に成長したが故に生まれた経験と自我がそれを阻む。「私、大人になんかなりたくないよ」というアケミの言葉に、変わっていってしまう自分たちへの悲哀を感じた。
ただ、変わってしまうこと全てが悪いことではないと思う。お互い成長し、今までと全く同じ関係ではいられなくなっている二人にも、このあと新しい関係性が生まれるかもしれないことを、二人が土手に仰向けで寝そべりながら互いの指を絡めているシーンから伺える。たとえ新しい関係性が生まれなかったとしても、それまでに築いてきた「信頼」が性別や立場や経験の違いも超えて、変わっていく二人を繋ぐ架け橋になってくれると信じたい。子供から大人へ成長していく彼らが直面した戸惑いや、それでも彼らの中に存在する「絆」を感じさせてくれると言う意味で、本作は私にとって素晴らしい作品だった。思春期に男女の違いや「変わっていってしまうこと」への戸惑いを感じたことがある人に、この作品をぜひおすすめしたい。