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【WS】レトロとの距離 どんどこすすむ「河川敷レトロ」を読んで


1 マンガ「河川敷レトロ」

どんどこすすむ(ひらめき☆マンガ教室第7期生)の「河川敷レトロ」は、ほろ苦くも甘酸っぱい青春を繊細で軽やかな線で描いた、懐かしさを感じさせる短編だ。

https://hirameki.genron.co.jp/issues/task2024/task3/185/manga

中学校の卒業式からの帰り際、主人公のケン坊は幼馴染の女の子・アケミに呼びとめられる。ある出来事をきっかけに疎遠になっていた二人は、河川敷で久々に言葉を交わす。とつぜん、アケミは腕相撲をしようと提案する……。大人になることへの戸惑い、男であること・女であることへの戸惑い。そんな気持ちを思い出す作品だ。

2 「レトロ」の意味

ケン坊とアケミ。人名に良し悪しはないが、少々「レトロ」すぎるネーミングではないか。アケミという名前で思い浮かぶのは高橋留美子「めぞん一刻」(小学館、1980~1987年連載)の六本木朱美。男の子の名前に「坊」をつけて呼ぶのも、今日日なかなか耳にしない。

「レトロ」。【懐古的であること。古いものを好むこと。また、そのさま。】(小学館「デジタル大辞泉」)

懐古的であるということは、既に当の古い時代が過ぎ去ってしまっていること、それ自体をみずから認識しているということである。作者としては古臭いのは百も承知で、アケミやケン坊といった名前をつけたはずだ。

河川敷という舞台設定にしても、いかにもな古い時代の青春イメージを引きずっているわけで、「河川敷レトロ」というタイトルはほぼ同語反復と言ってよい。このタイトルもまた曲者である。

マンガは、絵で見せるメディアである都合上、語りが三人称的になる傾向があると思われるが、このタイトルも一見、三人称的だ。「アケミと僕」でもないし「ケン坊と私」でもない。

と言って「アケミとケン坊」でも「河川敷腕相撲」でもない。「河川敷レトロ」。「レトロ」=懐かしむことだとすれば、このタイトルには三人称と言うよりも、作者自身の一人称がまろび出ている。

あったかもしれない過去を作者自身が回想する視点で、このマンガは描かれている。極端な話、コマ枠の外が全ページで黒ベタ塗りになっていても成立しそうなマンガなのである。

3 「レトロ」を描く

表現手法にも触れておきたい。

作者の描く線は、柔らかく優しい。こうした線で描かれることで、マンガはより懐かしさを増している。苦い経験も甘酸っぱい思い出も、等しく「良かった」ものとして追憶される。

キャラクターの描線をキッチリ閉じていないのも特徴のひとつだろう。ともすれば感傷に流れウェットになってしまいそうな題材を扱いつつ、どこか軽やかで開かれた読後感をもつのは、こうした描線のおかげかもしれない。

線の強弱も慎重にコントロールされている。本作のアピール文によると、アナログ感を意識しているとのことだが、それが線の強弱・メリハリに現れているようである。繊細さを印象づけるとともに、作品全体にも現実感を与えていると思う。なにより〈成長につれて男女が身体的・精神的に異なっていくことへの戸惑い〉という本作の題材にも適している。

この点、p.14の腕相撲シーンが特徴的だ。ここに描かれたアケミの腕とケン坊の腕を見較べてみよう。ケン坊の腕は強弱のメリハリがクッキリしているのにたいして、アケミの腕は細く、弱めで均一な線で描かれているように見えないだろうか。最後のp.16でふたたび描かれる二人の腕はそこまで対照的に見えないが、それでもやはりケン坊の手の方が、心持ちフシばった描き方になっている。

コマ割りについても触れておこう。このマンガは基本的に、コマが垂直方向3段に割られている。p.14だけが2段に割られており、セリフもなく「見せ場」と一目でわかる。淡々とした3段のリズムのなかに、一瞬だけ無音の見せ場。作者の描く青春は、そういうリズムを刻んでいる。

4 どこへ「すすむ」?

「大人になんかなりたくないよ」とアケミは言う。だが「レトロ」という題が示すのは、懐古する者(=作者)が、既に避けがたく大人になってしまっていることである。何かを「懐かしい」と思う時点で、我々は既に「時間は巻き戻せない」と強く自覚している。

このマンガには作者の一人称視点がうかがえる、と書いた。「古さ」や「懐かしさ」を、作者は今後どのように扱っていくのか。映画「ALWAYS 三丁目の夕日」(2005年)のように自覚的に「レトロ」へ向かうのか。現代的なモチーフを混ぜこむのか。いずれにせよ、社会や世界とどう向き合いマンガに反映していくのかがカギになるように思う。

河川敷の全景をとらえるとき、作者は電車の走る音を書きこむ。「タタン…タタン…」(p.2、16)。それは社会や世界が近づいてくる音なのかもしれないし、遠ざかっていく音なのかもしれない。ともかく、距離はある。作者はどちらへ「すすむ」のだろうか?(了)

*本ブログは「ひらめき☆マンガ教室」第7期ワークショップ「マンガの読み方・評し方」課題提出用の文章です。

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