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【放談】猫?ねこ、neko。【No.4】


いろんなことがあって、忙しかった。

いや、なうで忙しいのだが、少しだけ気持ち面での余裕が出てきたのでなんとなく、筆を執る。

 

先日地滑りを起こしていたことからも分かるように、実家はそこそこ田舎な方で、小さなころから野生動物とは縁があった。

 

千葉県というご当地性もあり、ここ数年全国ニュースで取り上げられるようになったキョン(小さな鹿みたいなやつ)もいたしイノシシも、サルも、リスもタヌキも身近な生き物だった。

 

そのなかに、猫もいた。

 

 

監視カメラどころか街灯さえまともにない立地故なのか、実家のそばは定期的に捨て猫が来る場所だったのだ。

 

ぼくが3、4歳ぐらいのころに兄が一匹の捨て猫を拾ってきてからぼくと猫との付き合いが始まった。きっと兄が拾ってくる前から捨て猫はいたはずだが、親がこのことをどう思っていたのかは分からないし、聞いたこともない。

 

中には捨てられた際に虚勢されておらず、子猫を生んでいた猫もいた。そういえば、そのうちの一匹がネズミ捕りに引っかかっていたこともあった。

 

今記憶にあるだけでも、15匹近くの猫を拾って、飼ってきたと思う。

 

この流れは今も続いていて現時点で実家には5匹の猫がいる。元々は7匹いたのだが、昨年の秋ごろに1匹が死に、もう1匹はおそらくカラスかトンビか。野鳥にさらわれてしまった。

 

とまぁそんなこんなで猫との付き合いは長いわけなのだが、だからと言って飼育への造詣が深くなるわけでも動物愛護についての意識が高くなるわけでもなかった。

 

家族という認識すらなく、単に、空気のように、すぐそばにあることが当たり前な存在として、ぼくの中には猫がある。

 

いま実家で飼っている猫の内の1匹。名前はあるのだが、コロコロ変わるので確かなところは分からない。

 

もしかすると、この感覚には、何匹かの猫を同じ名前で(世襲のように)飼っていたことの影響があるのかもしれない。

 

つまり何が言いたいかと言えば、世間一般で扱われる猫という概念と、ぼくの中にある猫という概念には、違いがあるらしいということだ。

 

まあ、こんなこと、猫に限らず当たり前なんだけどね(笑)

言葉って、そういうものだし。

 

――と、第6期最終講評会のアフターで人と話しながら考えていた。その記録を残しておきたかったので、書いたよ。

 

なんだ、冒頭に書いていた「なんとなく」って嘘じゃないか!嘘つき!!

おわり

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