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【投稿コース】第6期 投稿コース講評:『スクランブル・ウェディング(ネーム)』【7月分】


ひらめき☆マンガ教室第6期から新設された投稿コースでは、月に一度、ひらめき☆マンガ+内に投稿したマンガの中から自由にひとつの作品をえらんで講評を受けることができ、内容はひらめき☆マンガ+で公開されます。

 

第6期、7月分の講評には全3作品の申込みがありましたが、本記事では、えぴのみすさんの『スクランブル・ウェディング(ネーム)』の講評をお伝えいたします。

 

1.『スクランブル・ウェディング(ネーム)』えぴのみすさん
講評:さやわか先生

 

受講生アピール文

発表媒体としてはSNS(旧Twitter)を考えています。具体的な想定読者は思いつきませんでした。強いて言えば、目的もなくだらだらとSNSを見ている人でしょうか。
1ページ目1コマ目、スクランブル交差点に見えているでしょうか? 2コマ目につなげるために建物が見える構図にしたのですが、かえって分かりづらいかもしれません(そもそも1コマ目の右の建物が2コマ目と同じだとこのネームでは分からないと思いますが…)。
3ページ目の1・2コマ目(斜めに分けたコマ。右が横から、左が上からの視点です)、人々が交差点を渡っていく様子を表現したつもりですが、分かりづらく感じます。作品全体もそうですが、特にここのコマの割り方がもっと良い方法がないかアドバイスいただきたいです。
以上、よろしくお願いします。

 

 

講師講評(さやわか先生)

 

えぴのみすさん、投稿ありがとうございます!
いただいた内容をもとに、以下、お返事を書かせていただきますね。

 

まず、発表媒体についてです。SNSでも、Twitterでも、全然OKだと思います。が、「想定読者は思いつきませんでした」とおっしゃるのは、ちょっともったいないかなと思いました。
そもそも、発表媒体を想定するのは、なぜでしょうか。それは、発表媒体を意識することが、すなわち想定読者について考えることにつながるからです。つまり、その媒体を読む人が、何を面白いと思うのか、何を望んでマンガを読むのかを考えることにつながるのです。そこを掘り下げて考えないと、「何となく」とか「特に思いつかないから」みたいな感じで発表媒体を選ぶことになってしまいます。逆に言うと、発表媒体を想定し、その媒体を読んでいる読者がどんな人かを考えてみると、自分が描いたマンガが、その表現でいいのかどうか?その内容が(とりわけ想定読者に)理解可能なものかどうか?そもそも自分は、どんなマンガを描くべきなのか?みたいなことを、自分で顧みやすくなります。自分が何をすべきかがわかるってことですね。

 

さて、そのうえで申しますと、SNSの読者というのは、そもそも「今からマンガを読むぞ!」とは思っていない人たちがほとんど、ということになります。おっしゃるとおり「目的もなくだらだらとSNSを見ている人」が多いからこそ、さほどマンガに対して積極的でもないですし、物語内容を前のめりで理解しようとか、読み込もうという態度ではない場合が多いです。また、「マンガが読めるハッシュタグ」等で、それなりにマンガを読む気になっている人も、どんなマンガでもいいわけではなく、きわめて一般性のある話題、たとえばSNSで話題になっているようなこと、を、マンガの形式で読むことを好む傾向があります。発表媒体としてストレートに「SNS」と想定する場合には、よろしければ、つまり自分はそういう読者を選ぶ判断をしているんだな、と思っていただけると、作品の作り方が変わっていくと思います。そしてもちろん、「そんな読者はちょっと…」と思うなら、別の形で(たとえばSNSにしても、SNS内の特定の層に向けて)作品を見せていく手段を考えるということもできると思います。

 

特に今回、えぴのみすさんが描かれた作品は形式的にはサイレント漫画で、これは実は漫画をかなり読み慣れている場合でも、前のめりに「理解しよう」と思ってくれないと読んでくれない、つまり読者にとってハードルが高い形式でもあります。漫画は読者に「ストレスなく自然に読ませる」ことをかなり大事にする表現手段なので、サイレント漫画が読者にとってハードルが高いというのは、つまりは作者にとっても、それを読者に読ませるために、台詞のある漫画以上に、内容に「のめり込ませる、面白がらせる」ためのいろんな手段を擁する必要がある、ということになります。あまり漫画に関心を持っていない人に向けてSNSで発表するとなると、なおさらその傾向が強まると思います。もちろんサイレント漫画に挑戦することはあっていいことだと思いますし、またえぴのみすさんが今回、SNSを発表媒体に選ぼうとしたのも、上記したような考え方を踏まえずにということだったと思いますが、せっかくなので、今後漫画の力がさらに向上するために意識していただけたらいい点として、書かせていただきました!

 

さて、そのうえで、具体的なご質問としていただいた内容にお答えしますと、まずは1ページ目1コマ目は、スクランブル交差点に僕は見えると思います。たぶん、SNSの読者であっても、そのように見えると思います!

 

ただ、ご自身がおっしゃるように、1コマ目の右の建物が2コマ目と同じだとは、このネームでは分からないと思います。
しかし問題は、それが「分かる必要のあることなのか」ということです。たぶん作者としては、こういうシチュエーションを見せていく映像的な連続コマをやろうとしたということなのでしょうが、漫画は何にでも意味を持たせなければならない(=意味が発生してしまう)ものなので、1コマ目の一部をクローズアップしたのが2コマ目であるのなら、この銅像に「何か意味があるようになってしまっている」と思います。それは漫画にとってあまり望ましいことではないので、現状のように、1コマ目の右の建物が2コマ目と「同じだとわからない」(=意味が発生しにくくなっている)ことは、結果的には、望ましいことだと思います。

 

3ページ目の斜めに切ったコマは、おっしゃるとおり、何が起きているかわかりにくいかなと思います。特に、「人が歩いてきている」ということはその前の流れを見れば分かるので、上からの構図を使ってそれを見せる必要はほとんどないかなと思いました。そもそも冒頭、スクランブル交差点で信号が変わって人が動き出した時点で、そのあとで何が起きるかはわかりますよね。先ほど申し上げましたように、映像メディアであれば、こうした構図が(1ページ目の2コマ目で銅像に寄るカット割りなども)用いられてもいいかもしれませんが、漫画は映像メディアよりも「読み物」として、意味を重んじて作られるものなので、実は映像メディアと同じようなカット割り、コンテの進行、構図などをそのままやると不自然になりがちです(まあ、映像メディア的な作り方でいいのであれば、漫画にする意味がなくなってしまいますよね)。なので、ここの意味が分かるのであれば、他のコマは不必要としてばっさり省いてしてしまうのがいいかな、と思いました。

 

いただいた懸念点に対するお答えは以上になるのですが、全体としての個人的な感想としては、もうちょっとこの視点人物(1ページ3コマ目で出てくる人)の心情に強く沿った、この人のドラマとしての漫画(簡単に言うと、この人の気持ちが作品内の経験を通してどう変わるか)にしてあげたほうが、より読み応えが出るかなと思いました。漫画はキャラクターに沿って読まれるものなので、ひとつのシーン、ごく短い時間内の動きを見せようとしたことは理解できるのですが、それを見せるために誰か一人のドラマをガイドラインとして置いてあげておくと、結果的にえぴのみすさんがやりたかったことが、読者に把握しやすくなると思います。これも作者の判断次第になってしまいますが、一応申し添えました。そんな感じなのですが、いかがでしょうか?もしよろしければ、参考にでも、していただけるとうれしいです!

講師講評ここまで

 

以上になります。

えぴのみすさん、講評にお申込みいただきありがとうございました!

 

おわり

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