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蟲の時間 人の時間


『蟲師』に先行する読み切り作品『虫師』は現代を舞台にしているが、読み切りから設定変更した理由について作者はあまり多くは語っていない。

「蟲師」は土地も時代も明記しない「どこか」を舞台としています。仮想の生命体たる「蟲」はその方がより活かせる、と思ったからです。

フィラメント あとがき

また、他所で作者はインタビューでこう答えている。

「いつかどこかの話」というふうにしたかったので、時代や土地の特定はしていません。現代から遠すぎず近すぎず、ということで、”鎖国し続けている日本”とか”江戸と明治の間にもうひと時代ある感じ”というイメージで描きはじめました。

蟲師Official Book 作者インタビュー

では具体的にどうしてこのような世界観設定にしたのか。あるいは結果としてこの世界観設定はどのような効用を作品にもたらしたのか考えてみたい。

『鈴の雫』

『鈴の雫』蟲師のシリーズをしめくくる最終エピソードだ。

山のヌシに選ばれた人間の少女カヤは、ある頃から人里を離れ山の中に暮らしていた。一度は家族の元に戻るが、ヌシを失った山は調和を崩し歪みはじめる。カヤは再度ヌシとしての仕事をするためふたたび山に戻るが、ヌシの力を失っていた。理(コトワリ)は新しくヌシを選出しようとする(この時古いヌシは山に「喰われる」)蟲師のギンコはカヤが生贄になるのを止めようと理に説得を試みるが、カヤは自らの役割を受け入れ消滅する。

このエピソードで問われているのは自然と人間の関係だ。ギンコは言う。

「草木も けものもヒトも 命の理の許に生きている ずっと昔からそうだった きっとこれからもそうだろう ……“ヌシ”はその約束の現れだ それが人の形をしている事が……俺には無性に嬉しかった。」

ギンコはなぜ嬉しかったのか。かつて人は自然の一部であり、その関係が今失われつつあるからだ。ギンコは自然と人の調停者として互いにもう一度関係を結ぶことを望んでいる。怪異と人間の関係について、柳田国男は『狸とデモノロジー』という論考の中で、各地の狸の伝承をもとにデモノロジー(=人間にどういった悪さをするか)を文明の発展レベルによって三段階に分類するモデルを提示している。

  • 人に憑く
  • 人を誑かす
  • 人を驚かす

つまり、化かす狸のイメージは文明の発展段階が進むにつれ畏敬の対象から困った隣人に成り下がっていく。社会が自然から分離し、自然を支配の対象とするほどに怪異は存在感を失っていく。蟲師の世界も同様だ。

江戸と明治の中間=日本の近代と前近代が共存する日本を設定したことで移りゆく自然と人間の関係について描くことができた。最初の問いに戻れば、『蟲師』の世界観設定は、日本の前近代と近代で人の営みのあり方がどのように異なったのかを「蟲」というモチーフを通して描くのに適していた、と言えるのではないか。もう一つエピソードを取り上げてこの仮説を検討してみたい。

『露を吸う群』

潮に阻まれた孤島で、蟲に取り憑かれた少女は日毎に死と復活のサイクルを繰り返す。

このエピソードの中で「目の前に広がる膨大な時間」という言葉が二度出てくる。一度目は蟲に取り憑かれていた少女あこやが正気を取り戻したとき。人間的な認知をとりもどした後に彼女は「目の前にひろがるあてどない膨大な時間に足がすくむ」と言う。結局あこやは自らの意志でふたたび蟲をとりこみ、もとの時間感覚の中に戻る。二度目はラストシーンで、ギンコが依頼主のナギに洞窟を削ることを勧めるところ。舞台となる島は全方位岸壁で、大潮の干潮時洞窟をくぐるしか外界と出入りする洞窟が通行できない構造になっている。ギンコは、容易なことではないだろうが膨大な時間があるのだからいつかはやり遂げられるだろうとナギを励ます。

反復する時間を生きる蟲と膨大な時間を生きる人の時間感覚の違いが主題のエピソードだが、ここで注意したいのは、舞台となる島自体が月齢をサイクルに生活する、反復する時間を生きる場所ということだ。つまり蟲からみた人間の時間感覚と、閉じた島の生活者から見た島が外側に開かれたときの時間感覚は「目の前に広がる膨大な時間」という点で相似をなし、前者の視点では「膨大な時間」は否定され後者の視点では肯定的に捉えられるという構造になっている。

『時間の比較社会学』(真木悠介)によると、原始共同体は「反復的な時間」であるのに対して近代社会は「直線的な時間」だと言う。近代は無限に広がる過去―現在―未来の直線のようなイメージによって長期にわたる計画をたてられるようになり、1分1秒のような時間の定量化によって精密な協働を可能にした。そのことによって今の私たちは多大な利便性を享受しているが、他方で時間の奴隷にさせられてもいる。「膨大な時間」はこういった近代の時間間隔の二面性を表しているように思われる。

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