【WS】成人向け漫画 研そうげん『BETTER THAN SEX』感想
セクサロイドが普及し、風俗嬢が今より生活が苦しい時代、男子大学生のたかみちが父の遺産を使って高級セクサロイドを購入する。他人の3Dデータを元に作るのは違法であるにも関わらず、優しくしてくれた同じサークルのちひろ先輩の3Dデータを使用する。しかしちひろ先輩は本当はキメセク狂いのヤバいやつだった……。たかみちはちひろ先輩とセクサロイドのちひろ(以下、2号)との間で気まずくなりつつも、似ている2人が感覚を共有して3Pをするなどして、奇妙な関係ながら3人(2人と1つ?)は仲を深めていく。そんな大変エロくて良い漫画だった。
人間大のロボットが登場する作品は、『僕とロボ子』のような、あくまでロボキャラ、つまりロボよりもキャラに重点をおいた場合を除けば、次の2つに分かれるように思われる。1つはかわじろうさんの『ロボ』のように、ロボットが人間の感情を知りたがる(人間になりたがる)話だ。僕は正直言うと、ロボットなどの無機物くらい人間関係の外にあってほしいし、ロボや宇宙人などが人間を肯定するのは肥大した自己愛のようにも感じてしまう。もう1つは『エクス・マキナ』のように、ロボットと人間の区別が付かないことから、人間のアイデンティティを脅かす話だ。僕はこういった話も苦手で、どの作品も同じに見えるからだ。確かにアイデンティティを脅かされる気持ちにはなるが、神秘化している(せざるを得ない)人間の意思そのものには決して近づけないため(意思の発生のメカニズムは現状科学的に分かっていないから)、延々とその周りをグルグルしている印象は拭えない。また前者も後者も人間の意思や感情の根拠を求めている、という点でみれば大枠には同じと言える。
2号は途中から”自我”を得る。そんな本作も同じ系統にある作品といえる。なのでこの手の話はどうしたって、アンドロイドの”自我”について根拠を述べられないことにモヤモヤを感じつつも、人間とアンドロイドの違いなどの答えが無いことにはうだうだ言及せず、”自我”を持つという一言で済ませているのはむしろ好感を持った。そう、アンドロイドものといえば自我を持つ。精密機械が自我を持つかどうかと、機械の見てくれは何ら関係のないはずなのに。やはり人間は人間っぽいものに対して積極的に人間と認めたがるように思われる。
そしておそらく厄介なのが、漫画は絵で表現されるため、人間とアンドロイドには絵として区別が無いということだ。2号は金髪ロングヘアで、ちひろ先輩は黒髪ショートヘアで登場するが、途中から2人(1人と1つ?)とも折衷した金髪ショートヘアになる。作劇上混乱が無いように描かれるが、読者としては人間もアンドロイドも全く同じ絵でしかなく、人間により欲情するなどということは無い。等しくキャラクターなのだ。”キャラクター”という、真に人間ではないが、人が他者を認識をする際に媒介として使われ、それが漫画のような絵の連続によって形付けられることで宿るものに、本来の生命の有無はおそらくそこまで関係ないのだろう。そう捉えると、人間とアンドロイドの差について考えることはむしろ後退しているようにも感じられるが、表現やキャラクターの自由さや可能性に想いを馳せられそうだ。
さて、本作において秀逸なのはラストの展開だ。2号は人間に危害を加えるという重大な違反行為を犯した上、大きく破損する。2号が生き延びるためには、ちひろ先輩と人格統合するしかなくなる(よく考えたら人格統合するのはたかみちなどほかの人間でも構わない気がするが、絵の力で説得させられる)。しかし人格統合をすると、ちひろ先輩の人格に深刻な影響を及ぼす可能性があることから、2号は反対する。たかみちは2号に生き延びてほしい。ちひろ先輩は、たかみちと2号がセックスをし、先にイッた方に従うというゲームを提案。たかみちと2号は真剣に他者を想うことで、いままでで一番相手に気持ちよくなってもらうセックスをする。笑ってしまうような下らない話なのに、なんだか感動してしまう。しかもエロい。まさに漫画に真髄だ。それこそリアルなセックスを参照することで良い話にするのではなく、まさしくエロマンガのセックスで到達しているのだから凄い。
はたしてたかみちが勝利し、ちひろたちの人格は統合された。そしてその後の最初のセリフはまさに2号としての言葉なのだ。本当は恐ろしい話にも感じられるが、ここまで読んだ読者には、2号が人間になれた祝福にすら見えうる。
ラストまで書いてしまったが、おそらくネタバレをしても全く問題ない漫画のように思われる。なぜならこの文章を読んでも本作がいかにエロいかが全く分からないからだ。