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好きな漫画/好きな巻数 「神さまの言うとおり弐」20巻


初めまして、ひらめき制作コースのすけっちです。よろしくお願いします。

はじめに、私事ですがブログのような自由なコミュニティに自由に発言を投稿する経験がほとんど無く、どのようなテンション感で書けばいいか非常に困っています。加えて、言語化能力が本当に乏しく、文字に起こしたり、わかりやすく伝えるとかのアウトプット能力や思考の整理整頓能力が枯渇している傾向にあり、よく何いってるのかわからないと言われます。なので、拙いところが多々あるとは思いますが我慢していただけるとありがたいです。

私が今回好きな漫画として紹介させていただくのは、原作:金城宗幸「神さまの言うとおり弐」です。「神さまの言うとおり」という漫画が全体的に好きなのですが、好きな巻数ということで「神さまの言うとおり弐」を挙げさせていただきます。 好きな漫画を投稿せよということで、「そんなもん神さまの言うとおりでええやろ」と即決したのですが、最後に読んだのが5年ほど前で、色々な漫画が大好きな私自身にそれほど色濃く好きな漫画として印象に残っている理由を思い出せなかったので、前日譚編を除いた全ての話を読み直してきました。

言語化が難しいのですが、漫画などを読み終わると自分の内面的な部分にその漫画の世界観が残る感覚はわかりますでしょうか?引っ張られると言いますか、ホラーゲームやった後に怖い感じが残ってお風呂に入れなくなるみたいな感じです。漫画の持つ世界観というか、その漫画がおりなす雰囲気が自分の中に流れてくる感覚が漫画などの創作物の魅力であると私は思っています。この作品はその魅力が非常に強いんです。この感覚的なものって人それぞれたくさんあるとは思うのですが、個人的なもので例を挙げるとすれば「僕のヒーローアカデミア 76話僕のヒーロ」のワンシーン、洸汰くんを守るために出久が体を張ってぶつかるシーンですが、出久は泣きながらぶつかるんですよね、そして心の中でごめんお母さんと叫ぶのですが、自分を殺すための大きな力をぶつけられ、洸汰くんを守るために折れた腕で対抗するも力負けしつつあるという激動のシーンの中で、衝撃のぶつかり合いからくる体全体の力みと思考もままならない中での死への覚悟と少しの拒絶、これらコンマ1秒単位の劇的な臨場感の中での死という自覚と謝るというどうしようもない萎え的な覚悟のせめぎ合いが、刹那的な力みが永遠のように感じる中で理不尽に対する萎えがどこか存在するような雰囲気を感じとりました。

共感とも違うかなと思うのですが、こんな感じの言語化しにくい内面に広がる世界観のようなものです。(言葉が変になってしまいすみません)

*以下ネタバレを含みます

さて、「神さまのいうとおり」の私個人が好きな世界観についてを語っていこうと思います。そもそも、この漫画の世界では理不尽的な要素が強く、簡単に人が死にます。重要な立ち位置のキャラ、友達、モブキャラ、敵関係なく簡単に死んでしまう世界となっており、推しを作ってはいけないで有名な「チェンソーマン」や「呪術廻戦」などと違い、勝負して負けたなどではなく、主人公と密接な関係だったキャラがジャンケン1つで死んだりします。それも抵抗の余地なく、決まりごとのように死にます。

つまり、この漫画は世界はフィクション的ですが、この世界に生きる人間は人間の域を出ないということです。

私はこれが私の好きな世界観が生まれるポイントだと思っています。なぜかというと、漫画の世界がフィクションしすぎていて、ある程度の人間性が突出していることに違和感がないのです。漫画はある程度キャラというものに味付けしてあることが多く、あるあるだと思うのですが、この漫画は理不尽で凄惨な世界が大前提、人が死ぬのも無条件で死が隣り合わせなのも強制されています。なのである程度個性が強いキャラでも「この世界ならこーゆーのが生き残るよね」って頭の中で自然と理解できてしまいます。だからこそ、突出した人間性が映えて輝きを放つ瞬間が生み出されると思っています。この瞬間的爆発に掻っ攫われ、自分の内面が染め上げられるこれがこの漫画の魅力です。

要約すると、理不尽な世界だからこそある程度の過度な人間性に違和感が無く、人間性がさらに爆発する瞬間に出会えるということです。

様々な人間性の爆発に出会えるこの漫画の中で、私が1番好きで、最も内面を染め上げられ、読んだ後の余韻がやばかったシーンをご紹介しますが、まだ見たことがない人は是非本編を見て、初見の衝撃を感じてほしいので、ここから先は見ないことをお勧めします。というかこんな1一般市民の僕なんかのブログでその機会を逃さないでいただきたい。

私の1番好きなシーンは、「神さまの言うとおり弐 174話 ああ神様」での旧主人公である高畑瞬が今回の首謀者である神まろと共に自害するシーンです。

この良さを全て語るには私では役不足なのですが、この時のアドレナリンが煮えたぎっていく感覚といったらもう、、、高畑舜のこれから行うことが頭で気づき始めた頃から高畑舜の合図(読めばわかります)と共に直感的に理解したそのヤバさにだんだん頭が追いついていきその結末を見届けることに使命すら感じる感覚、、、そしてその結末は何のノイズもなく何も存在していなかったのように綺麗に消える、この高畑舜の人間性の爆発が起こした私の内面への侵食具合は間違いなく1番でした。おそらく私の漫画史においてのこれほどの持ってかれ方をしたのはなかったと思います。これが私がこの漫画を好きな漫画に選んだ理由で間違いないと思います。

もちろん魅力は他にもまだまだありますが、これ以上は着地点を見失いそうですのでここまでにしておきます。なるべく、中身に触れないよう個人的な感覚に焦点を当ててお話しさせていただきましたが、いかがでしたでしょうか?この漫画を見たことがある人は共感を、見たことがない人はこれをきっかけに見て共感していただくことになれば幸いです。

以上、私の好きな漫画およびその巻数でした。ここまで閲覧いただきありがとうございました。

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